支援物資と5月病

2011年05月18日 01:07



ずいぶん日が開いてしまった。
なんだろー。
震災から1ヶ月程度は、気がはっていたのか。いろいろとがんばれた気がするのに。仕事もこなさなければならないことに追われるように、ただただこなしてきた気がします。そしてここにきてふと気が抜けて、まるで5月病のよう。
もちろん、この間に、皆さんから預かった支援物資も全て配り終えたのだけど。一種の燃え尽き症候群的なことだろうか。どうにも、自分自身の歯切れの悪さにがっかりしてしまう日々を過ごしてる。


支援物資も、ゴールデンウィーク中に全て配布終わっていたので、記事として、ブログにアップせねばと思いながら日がたってしまった。今こうしていても、なんだか今までにない気持ちで、肩がこる。



支援物資ありがとうございました。



まずは、僕の呼びかけに御賛同いただいた皆さんからの支援物資をしっかりと山元町と亘理町のしかるべき部署にお渡ししてきたことを御報告します。計5回に分けて、約週1回のペースで渡してきました。皆さんも御存知の通り、そして、私自身もこのブログで書きましたが、この間も支援物資のニーズは刻々と変わり続けてきました。正直に書きますと、最後に訪れたゴールデンウィークには、亘理町では受け取りはしていただけず、山元町に受け取っていただきました。

この書き方は適切ではないかもしれません。しかし、実際に支援をしている人でなければ、なかなかわからないと思うのですが、支援物資を運ぶ先、主に体育館などには良くぞ積んだというくらいに山積みの物資がそびえています。そんな状態ですから、正直、支援している団体はじめ、個人の私などはもらってもらえるか不安を抱えながらの搬入となるのです。もちろん、無理に押し付けては本末転倒な訳で。さらにスタッフなども被災していたり、疲弊した状態で仕事しているので言葉選びなどやりとりには非常に気を使うのです。


当初はほんとに限られた供給の中で、個人レベルの支援物資は小回りの効いた敏速でピンポイントの支援ということで非常に効果的でした。そして受け取るほうにも感謝の色が強くあり、支援している者にとってもやりがいがありました。しかし4月半ばに入ると私が支援していた地域の状況は非常に改善してきたのです。その大きな要因は交通網の正常化に伴う多方面、多団体からの支援物資の輸送が可能となったことです。もちろん、この地域で全ての物資が供給過多かというとそうではありません。5月半ばの現在もまだ必要としている物資があるのは事実です。ただ、必要な物資が非常に細分化し、避難所から仮設などに移動した先での必要なモノへとニーズが変化し、より個人的なモノになっているのです。例えば、ドライヤーや虫除けスプレー、日焼け止めやひげそり、調味料など、こういったものは数の把握が難しい上、平等に配れないなど問題が多く、なかなか声がけが出来ないのが現状です。しかし、こういった物資でさえ、時間は少しかかっても近隣自治体などの協力で少しずつ支援の輪が伸びているようです。



支援情報の鮮度



今回、支援物資を取りまとめることで、支援の重要性を学んだ一方で、その情報の鮮度がいかに大切かを学びました。この問題は阪神淡路大震災の時も話題になりましたが、今回はさらにその重要性が再認識されたようです。ネット環境の整備、ツイッターやフェイスブックなど瞬時に世界中から支援物資の要求が飛び交う中で、どうしても生まれるタイムラグや伝言ゲームのように解釈が変わる要望などなど、もちろん、こんな非常時にそれを一元化できるほど、整った環境はないのはわかりますが、多くのボランティア団体がこの壁を前に苦しんでいるのが現状です。今はちらほらとこのニーズのマッチングの改善方法がやはり、行政主導ではなくボランティア団体など主導となり、確実に成果を上げ始めています。よりロスの少ないピンポイントでの支援を期待したいですね。



文具の行方と言い訳



今回支援いただいた多くが文具ということで、主に山元町と亘理町の学校施設へと配られ、4月後半の学校の開始ともに、多くが配られた模様です。5月に伺った際にもまだ十分在庫があるようで、数年は子供たちにわけていけるとのことでした。


最後になりますが、言い訳を!
今回、ブログを通して多くの方々にご協力いただいていたので、できれば支援物資が渡されたところの状況をカメラにおさめたいと思っていたのですが、すみません。シャッターを切ることが出来ませんでした。毎回カメラは持って行っていたのですが、被災された方々やそれに対応する自衛隊、役場職員、ボランティアスタッフの中でカメラを向けることが、自己満足にしか思えず、結局カメラケースからも出すことが出来ませんでした。でも、渡した時の「ありがとうございます」という言葉は皆さんに伝えたいと思います。この言葉は最後に支援しに行った時も言っていただきました。「必ず、子供たちにこの文具がどういった形で届いたか伝えます。」と言っていただいたこともありました。一瞬にして多くのモノをなくした子供たちにとってはささいな支援の形ではありましたが、ほんとに意味のあることだと思います。

今回こういった形で、皆さんの支援の気持ちを橋渡しできたことで多くのことを勉強させてもらいました。ありがとうございました。
今後も、ブログを通して、思うことを書いていけたらと思います。



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●4月21日 支援物資



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●5月2日 支援物資


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●5月2日 支援物資


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●5月6日 支援物資(ペンもすべて書けるかチェックして種類ごとに袋に入れて本数を書く)


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●5月6日 支援物資(ダンボールには上と側面に内容物を書く、側面に書くのは山積みされた際に見えるように)



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●5月6日 最後の支援物資



※こちらの記事内容はあくまで、現場を経験した個人の意見です。また、物資の配布状況や需要についても山元町、亘理町のものです。岩手県三陸方面や気仙沼、石巻地域とは状況が異なっています。詳しくは各自治体のホームぺージや支援ボランティアホームページで検索ください。


コメント

  1. sakimana | URL | -

    Re: 支援物資と5月病

    ご苦労様でした!
    ボランティアとひとくちで言っても物資を
    届けるだけでもいろいろあるんですね・・・

    今回は何らかの形で宮城と関われたというだけで
    良かったと思っています。
    たぶん皆そんな気持ちだと思うし。

    子供たちに少しでも使ってもらえてたらうれしいです(^^)

  2. kpita | URL | -

    Re: sakimama

    報告遅くなりました。
    ほんとに、いろいろな考え方があって、行政の判断と大きな支援組織そして、小さな支援団体では、捉えている自分たちの支援対象が違うので、大きく見れば、全体のこと秩序などを考え始めるし、小さく見れば、いかにすばやく個人レベルを満足させれるかに重点を置き始める。痛し痒し、いったい何が正解かわからなくなります。

    でも、何もしないよりはきっといいはず、今度はまた違った形で被災地応援よろしくお願いします。

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